刀剣鑑賞記録 宗三左文字

はじめに

大規模ソフトウェアのレポートのために作成したはいいものの、
何に使おうか一切考えていなかったがために更新が滞っていました。

そこで、以前からの趣味である刀剣鑑賞の記録をつけることにしました。
見て終わり!じゃなくて、見てどう思ったのか後で見返す楽しみを生もうという次第ですね。

戦国時代展

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ということで、行って参りました「戦国時代展」。
江戸東京博物館にて2017年1月29日まで開催されている特別展です。
戦国時代に日本で生成された様々な歴史資料や美術工芸品を、時代の流れと共に追うことが出来る展示になっています。
刀剣だけでなく、甲冑や青磁器、書状など戦国時代の生活の一端に触れることができるものでした。
観覧料は一般1350円、大学生1080円(その他は公式サイトをご確認下さい)です。

戦国時代展では会期中に展示品の入れ替えがあり、今回の目的である「宗三左文字(義元左文字)」は2016年12月18日までの展示となっています。
一方、「五虎退」や「童子切安綱」の展示も2017年1月2日から控えているため、年をまたいでもう一度行くことになります(確信)。

宗三左文字って?

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南北朝時代の刀剣です。旧国宝であり、現在は重要文化財に指定されています。
筑前隠岐の左衛門尉安吉(左文字源慶)の作と伝えられています。
左文字源慶は銘に「左」の一文字を切るため「左文字」と呼ばれ、左文字一派の祖となった人物です。

号「宗三左文字」「義元左文字」の由来はどちらも所持者です。
前者は三好政長(隠居後の号が半隠軒宗三)、後者は今川義元にちなみます。
桶狭間にて今川義元織田信長に討ち取られた際、織田信長の手に渡り、4寸磨上げて金象嵌を入れ愛蔵されました。
その後も豊臣秀吉徳川家康の手に渡りました。別名「天下取りの刀」。
明暦の大火で一度焼けて再生されているため、当初とは刃文等が異なります。
現在は建勲神社(信長を祀る神社)所蔵です。

鑑賞+感想

文化遺産データベース
上のリンクから品質・形状について引用します。
「鎬造り、棟丸、無銘、彫り物表裏棒樋掻流し、鍛板目、刃文直刃に乱れ交じり。帽子尖り気味に返る。茎磨上げ、先栗尻、目釘孔二。茎表裏に金象嵌文字あり。」
正直なんのこっちゃ、という感じなので以下で軽く解説をば。

鎬造り
しのぎづくり。本造りともいう。鎬筋と横手*1のある日本刀の基本形。
棟丸
棟(刃の反対側の部分)が丸みを帯びている。
無銘
銘が切られていない。
彫り物表裏棒樋掻流し
刀表面に彫り物がしてあるかどうか。表裏両方に棒樋(ぼうび)*2が茎(なかご)まで通っている。
鍛板目
地金表面の様子が、板目肌*3である。
刃文直刃に乱れ交じり
刃文は直刃であり、部分的に乱れ(揺れやのたうち)が見られる。
帽子尖り気味に返る
帽子*4がやや尖って先端でUターンするように見える。
茎磨上げ
信長によって磨上げられているため、当初よりも茎の部分が短くなっている。
先栗尻
茎の下端(茎尻)が栗の尻のように丸みを帯びている。
目釘孔二
目釘孔*5が2つ開いている。
茎表裏に金象嵌文字あり
茎の両面に金象嵌(彫った後に金を嵌め込む)で文字がある。なお、内容は「織田尾張守信長」「永禄三年五月十九日 義元討刻彼所持刀」。

以下実際に見た感想です。
スラッとした印象を受ける刀身にはっきりと判別できるくらいわかりやすい板目肌でした。
切先は小さめで帽子は小丸、かわいらしくキレイな帽子でした。
刃文は薄く(幅が狭く、の方が正確かも)、すっと通った直刃が先のほうで少し乱れているように思いました。
信長が磨上げてくださったので、2つ目の目釘孔が茎尻ギリギリになってるのが面白かったです。
象嵌「義元討刻〜」もしっかり見えるように展示してくれてまして、単純に茎に彫られているよりはっきり見えるし綺麗でした。
確かに丸棟で、刀身に溝が茎までしっかり1本ありました。「天下取りの刀」と言われるだけの華やかさはありましたね。

さいごに

宗三左文字が見れる期間は残り少ないです。
ちょっと足を伸ばして見に行ってみては如何でしょうか?

*1:他の刀の各部位と合わせて日本刀の各部名称も参照するとよいかもです。

*2:まっすぐの溝

*3:木材の板目の様な文様

*4:切先における刃文

*5:柄(刀の持ち手)に茎を固定するための穴